鍼灸エビデンス・ライブラリ
艾と熱源の科学(全2分冊) 下巻 燃えているとき、温度は何をしているのか 姉妹巻:もぐさの特性
Moxa Combustion — 温度曲線・全13章

温度曲線

灸の温度は一つの数字ではない。時間とともに上がり、頂点をつけ、下がる。
その曲線の形を決めているのは何か。

第1版 2026年8月 温度曲線 / 艾炷の密度 / 燃焼の物理 / 灸種別の特性 / 赤外放射 / 未解決問題
序章

灸の側から見る

本ライブラリの既刊は、灸を受けた身体で何が起きるかを扱ってきた。本書は視点を反転させ、灸そのものだけを扱う二分冊の下巻である。ここでは熱——何度の熱を、どれだけの時間、どんな形で出しているのか——を扱う。艾という材料そのものと煙の成分は上巻『もぐさの特性』に収めた。身体の反応は既刊に送る。

00本書の読み方と、温度データの読み方

灸の温度を扱う文献を読むとき、最初に確認すべきは温度の数値ではない。どこに何を置いて測ったかである。ここを飛ばすと、同じ灸について何度でも矛盾した数字を集めることになる。

0-1 本書を貫く四つの問い

  1. もぐさは何でできていて、精製で何が減るのか。
  2. 燃えているとき、温度は時間とともにどんな形を描くのか。
  3. その形は、灸の種類によってどう違うのか。
  4. 煙には何が含まれ、それは施術環境でどれだけの濃度になるのか。
本書が「示唆」を書くときの規約

本書は原著の報告値だけで構成する。報告値を超えて編者が可能性を述べる箇所は、1冊につき2件までとし、いずれも「考察」「臨床仮説」等のラベルを付けた囲みの中に置き、成立しない条件を併記する。囲みの外の本文に、報告されていない因果や機序を書かない。ラベルのない断定は、すべて原著の報告値か、原著の著者自身の結論である。

0-2 エビデンスの階層

本書が扱うのは大半が物理・化学の測定値であり、臨床試験ではない。それでも階層は付す。測定値にも、一般化してよい範囲がある。

表0-1 本書で用いるエビデンス階層
階層デザイン典型的な弱点
A盲検化RCT/Cochraneレビュー本書では第III部の一部でのみ登場する
B器機による物理・化学測定(温度・分光・クロマトグラフィ)測定条件が研究ごとに異なり、直接比較できないことが多い
C動物実験・生体模擬モデルヒトの皮膚とは熱物性が異なる
D単群測定・比較対照のない報告再現性が確認されていない
E非査読資料・製品資料本書では数値引用に用いない

0-3 温度データを読むときの四つの確認

1. センサをどこに置いたか
艾の内部か、艾の底面か、皮膚表面か、模擬生体の表面か、皮下か。これが違えば温度は桁で変わる。第6章では、1本の艾条の断面内だけで 400℃ を超える差が報告されている。
2. 何の上で燃やしたか
石綿板の上か、模擬生体の上か、ヒトの皮膚の上か。下にあるものが熱をどれだけ吸うかで、同じ艾でも記録される温度は変わる。第2章で具体例を示す。
3. サンプリング間隔と試行回数
ピーク温度は一瞬である。サンプリングが粗ければピークを取り逃す。本書が引用する日本の測定では、0.55秒 間隔で 600秒 間、各条件 6回 という条件が明示されている[6]
4. 最高温度か、曲線の形か
最高温度だけを比べると灸種は一列に並ぶ。しかし患者が受け取る刺激を決めているのは、立ち上がりの速さ・ピークの持続・裾の長さ、すなわち曲線の形である。第10章がこの点を扱う。
読み方の注意

本書には、原著の抄録にしか到達できず数値を引用していない文献が複数ある。該当箇所ではその旨を明記した。「引用しなかった」ことも情報である。第13章に一覧を掲げる。

図0-1 本書に登場する温度の実測値(対数目盛・℃)
20 30 50 100 300 500 1000 台座灸・試料A(簡易生体モデル最表面) 26.71 ℃ 棒灸・高さ100 mm 30.1 ℃ 偽灸の皮膚温(膝OA試験) 40.9 ℃ 実灸の皮膚温(膝OA試験) 49.8 ℃ 棒灸・高さ20 mm 51.2 ℃ 台座灸 55.9 ℃ 温筒灸 64.3 ℃ 米粒大艾炷の底面 140〜160 ℃ 艾の着火温度(3年) 218.3 ℃ 最大質量減少速度の温度(3年) 318.8 ℃ 燃焼中の艾条・外側 410 ℃ 燃焼中の艾条・中心 843 ℃
数値はすべて原著の報告値。横軸は対数目盛。棒の長さは対数目盛上の位置を示すためのものであり、熱量や刺激量を表さない。各行は測定点が異なる。上から順に、簡易生体モデルの最表面[7]、臨床試験で実測された皮膚温[17]、熱電対による灸の温度特性[6]、石綿板上の艾炷底面[4]、熱重量分析による燃焼パラメータ[3]、燃焼中の艾条内部[5]この図を縦に読んで灸種の強さを順位づけることはできない。米粒大艾炷の行のみ、原著が範囲(140〜160℃)で報告しているため中央の150℃の位置に置いた。

0-4 既刊との関係

灸の熱が身体でどう受容され何を起こすかは、既刊『灸と神経生理学』『灸と痛みの生理学』『灸と血流の生理学』で扱った。本書は熱源の側で完結する。

0-5 本書が扱わないこと

  • 商品名・銘柄・価格・購入先。本書は特定の製品にいっさい言及しない。試料の産地や精製比は、原著が記載している範囲でのみ記す。
  • 身体側の反応(受容体・血流・鎮痛)。既刊に送る。
  • 煙の曝露による健康影響の疫学。本書は煙に何がどれだけ含まれるかまでを扱う。
第I部

温度曲線

灸の温度は一つの数字ではない。時間とともに上がり、頂点をつけ、下がる。その曲線の形を決めているのは何か。そして、報告されている温度がどれも違うのはなぜか。

01温度曲線は何を表しているか

灸の温度データは、ほぼ例外なく「時間-温度曲線」として得られる。この曲線から読み取るべき情報は、最高温度だけではない。

1-1 曲線の四つのパラメータ

立ち上がりの速さ
点火から温度が上がりはじめるまでの時間と、その傾き。皮膚が「熱い」と感じるまでの猶予を決める。
最高温度
曲線の頂点。文献でもっとも多く引用されるが、一瞬の値である。サンプリング間隔が粗ければ実際より低く記録される。
持続時間
ある温度以上が保たれる時間。第3章で見るとおり、艾炷の密度と直線的な関係にある[4]
裾の長さ
ピークの後、温度が下がりきるまでの時間。灸種によって大きく異なる。
要点

組織が受ける熱の総量に対応するのは、最高温度ではなく曲線の下の面積である。ただし本書が引用した文献で、曲線下面積を積分して報告しているものは見出せなかった。したがって本書も面積の数値は示さない。

1-2 測定系そのものが研究テーマになっている

灸の温度測定は、方法が確立しきっていない領域である。宮本(2025年)は「お灸燃焼温度の客観評価を可能にする低コスト非接触温度計測システムの開発——灸治療の教育現場での教材化を視野に」という報告を行っている[16]ただしJ-STAGEの当該ページには抄録本文が掲載されておらず、システム構成・測定精度・温度の実数を確認できなかった。本書ではこの文献から数値を引用しない。

02同じ台座灸が55.9℃にも26.7℃にもなる

本書でもっとも重要な章である。台座灸の温度を報告した日本の研究が二つあり、片方は 55.9℃、もう片方は 26.71℃ と書いている。どちらも正しい。測っているものが違う。

2-1 報告A——灸そのものの温度特性

和田ら(2017年)は、台座灸・温筒灸・棒灸の温度特性を熱電対で測定した。0.55秒 間隔で 600秒 間、各灸 6回 の計測である[6]

表2-1 間接灸の平均最高温度(平均±SD)[6]
灸の種類平均最高温度
温筒灸64.3 ± 3.3 ℃
台座灸55.9 ± 5.0 ℃
棒灸(高さ20 mm)51.2 ± 4.7 ℃
棒灸(高さ100 mm)30.1 ± 3.3 ℃

2-2 報告B——模擬生体の表面温度

松井ら(2023年)は、2種類の台座灸(試料A・試料B)を熱源とし、簡易生体内熱移動方程式によるシミュレーションの有効性を検討した。簡易生体モデルとしてロースハムを15枚重ね合わせたものを用いている[7]

表2-2 簡易生体モデルにおける最表面最高温度[7]
試料最表面最高温度
試料A26.71 ℃
試料B27.41 ℃

この研究では深度 21.6 mm まで 1.8 mm 間隔で測定が行われ、深度 12.6 mm までは実測値と推定値の間に統計学的に高い相関性が認められたと報告されている[7]

2-3 なぜ二倍の差が出るのか

両者はいずれも台座灸を測っているが、センサの位置と、灸を置いた対象が異なる。前者は灸自体の温度特性を把握するための測定であり、後者は熱が模擬生体の内部へどう伝わるかを推定するための測定である。測定の目的が違えば、測るべき点も違う。

臨床への翻訳

この二つの数字が並ぶことを知っているかどうかで、文献の読み方が変わる。「台座灸は何℃か」という問いには、単独では答えられない。答えるには「どこの温度か」を先に決めなければならない。研修や教材で灸の温度を語るとき、数値だけを引用して測定点を省略すると、聞き手は必ず混乱する。本書が第0章で測定点の確認を最初に置いたのは、この一点のためである。

本書が書かないこと

表2-1と表2-2の数値を直接比較して「台座灸は皮膚表面では26.7℃にしかならない」と書くことはできない。ロースハムの熱物性はヒトの皮膚の熱物性ではないし、松井らの研究の目的はシミュレーション手法の妥当性検討であって、皮膚温の推定ではない。本書は両者を並置するにとどめる。

03艾炷の密度と高さ

透熱灸では、施術者が艾をひねって円錐形に成形する。このとき変えているのは大きさだけではない。密度が変わり、それが刺激量を変える。日本の一次文献に、その定量がある。

3-1 実験の設計

山下・江川(1995年)は、艾炷の密度と高さの違いが透熱灸刺激の量や質にどう影響するかを調べるため、石綿板上で燃焼させた米粒大艾炷の底面の温度変化を熱電対で計測した[4]

3-2 最高温度

高さ 5 mm、底面直径 3 mm の円錐形の艾炷について、底面の最高温度は平均値が 140℃ から 160℃ の間であった[4]

測定点の確認

この 140〜160℃艾炷の底面の温度であり、石綿板上での測定である。皮膚上で同じ値になることを示した研究ではない。第2章で述べた確認事項が、ここでもそのまま当てはまる。

3-3 密度と持続時間は直線関係にある

艾炷の密度(mg/11.8 mm³)と温度持続時間(秒)の間には、有意な直線回帰が認められた[4]

原著の報告値

y = 1.9 + 3.2x (r = 0.92p < 0.0001[4]

著者らの結論——「艾炷の密度は、透熱灸の熱の持続時間すなわち刺激量に影響を与える重要な因子の一つであると考えられた」[4]

r = 0.92 という相関は強い。ひねりの固さは、刺激量を連続的に制御できる変数であるということを、この回帰式は意味している。

臨床への翻訳

透熱灸で刺激量を調整するとき、施術者が持っているつまみは壮数だけではない。ひねりの固さが、持続時間を直線的に変える。同じ大きさに見える艾炷でも、固くひねれば熱は長く続く。逆に、刺激量を落としたいときに壮数を減らす前に、ゆるくひねるという選択肢がある。ただしこれは石綿板上の底面温度の測定であり、皮膚上での持続時間が同じ回帰に従うかは示されていない。

04「高くひねると緩やかに伝わる」は支持されなかった

臨床でよく語られる経験則がある。艾炷を高くひねると、熱が緩やかに伝わる、というものである。同じ研究がこれを検証している。結果は否定的であった。

4-1 原著の記述

山下・江川(1995年)は、高さの違う艾炷の温度上昇速度を比較し、有意差を認めなかった。原著の記述をそのまま引く[4]

原著の記述

「高さの違う艾炷の温度上昇速度に有意差は認められず、高くひねった艾炷ほど緩やかに熱が伝わるという論拠は見出せなかった。」[4]

4-2 この結果の読み方

三点、慎重に区別する必要がある。

  1. 「高さは何も変えない」とは書かれていない。検証されたのは温度上昇速度であり、そこに有意差がなかった。他の指標について何が起きるかは、この研究では示されていない。
  2. 密度は影響した。同じ研究で、密度と持続時間には強い直線関係が認められている(第3章)。すなわち「ひねり方が刺激量を変える」こと自体は支持されている。変わるのは高さではなく密度である、というのがこの研究の結論である。
  3. これは石綿板上・底面温度の測定である。皮膚上で高さがどう効くかを直接調べた研究ではない。
臨床への翻訳

「高くひねって緩やかに」という言い方を、生理学的な事実として学生や患者に伝えることは、この実測に照らして支持できない。伝えるべきは「固さが持続時間を変える」ほうである。経験則が誤りだと断ずるには研究が一つでは足りないが、少なくとも根拠として引用できる実測は、現時点では逆向きの結果を報告している。

05燃焼の物理——着火から灰まで

艾が燃えるとき、内部では三段階の異なる反応が順に進んでいる。熱重量分析はその段階を分離して見せる。

5-1 三つの段階

Limら(2021年)の熱重量分析によれば、艾の分解過程は次の三段階に分かれる[3]

表5-1 艾の熱分解の三段階[3]
段階温度域起きていること
第1段階120℃ 未満水分と揮発性成分の喪失
第2段階150〜450℃セルロース・ヘミセルロースの分解(主要な質量減少と発熱)
第3段階450℃ 超リグニンとチャー(炭)の燃焼。500℃付近で平坦化

120℃ 未満での質量減少は試料により 4.8〜9.9%900℃ における残渣は 11.1〜26.1% であった[3]

図5-1 熱重量分析が示した艾の燃焼の三段階(横軸=温度 ℃)
第1段階 水分・揮発性成分 第2段階(主要な質量減少と発熱) セルロース・ヘミセルロースの分解 第3段階 リグニン・チャーの燃焼 0 120 150 300 450 600 750 900 着火 218.3 ピーク 318.8 燃え尽き 485.4〜492.0
数値はすべて原著の報告値[3]横軸は温度(線形目盛)。帯の位置と境界は原著が記述した温度域であり、帯の高さや濃さは量を表さない。着火温度・ピーク温度は寝かせる年数3年の平均値(10年は 222.6℃ と 323.5℃)。これは温度の軸上に段階を配置した図であって、時間経過を示す図ではない。120〜150℃の区間について原著は記述していない。

5-2 最初に失われるのは成分である

第1段階が 120℃ 未満で起きることに注目したい。艾に含まれる揮発性成分は、燃焼の本体が始まる前に飛んでいる。第2段階以降で燃えているのは、主として繊維(セルロース・ヘミセルロース・リグニン)である。

臨床への翻訳

この三段階は、第I部の物質収支(『もぐさの特性』第2章)と第IV部の煙(第15〜17章)をつなぐ。艾が「薬草を燃やして成分を浴びせる手技」だとする説明は、燃焼の物理と整合しにくい。成分の多くは燃焼の本体が始まる前に揮発し、残りは熱分解を受ける。煙に何が含まれるかは、葉に何が含まれていたかとは別の問いになる。

061本の艾条の中の温度分布

「灸は何度か」という問いが答えにくい最大の理由が、この章にある。燃えている艾条の断面の中で、温度は場所によって 400℃ 以上違う。

6-1 断面内の温度

Hongら(2012年、中国語論文・英文抄録に基づく)は、専用の温度計測装置を用いて艾条の燃焼温度を計測した[5]

表6-1 燃焼中の艾条の横断面における温度[5]
測定位置温度
中心843 ℃
半径の中点731 ℃
外側410 ℃

また、寝かせる年数3年の艾条の燃焼温度のピークは 848℃ と報告されている[5]。著者らは、この計測システムが「艾条の品質基準の製造業に参考を提供しうる」と述べている[5]

6-2 この数字をどう扱うか

階層と限界

本文献は中国語論文であり、本書は英文抄録に記載された値のみを引用している。測定装置の詳細、試行回数、艾条の規格は確認できていない。また 843℃ は艾条内部の温度であり、皮膚が曝される温度ではない。第2章・第3章の値(140〜160℃55.9℃26.71℃)と同列に並べて比較することはできない。

臨床への翻訳

棒灸で「同じ距離で当てているのに熱さが違う」という経験は珍しくない。この温度分布は、その一因を説明しうる。艾条の中心が皮膚に向いているか、周辺が向いているかで、放射される熱は同じではない。ただし、艾条の向きと皮膚温の関係を測定した研究には本書の調査範囲では到達できなかった。したがって本書は、この断面内の温度差が施術中の皮膚温にどう反映されるかについては述べない。

第II部

灸種別ごとの特性

灸法ごとに、報告されている物理量を並べる。同じ表に並べられるものと、並べられないものがある。その区別を明示しながら進める。

07直接灸(透熱灸)

皮膚の上で艾を直接燃やす手技である。日本で独自に発達し、日本の研究が実測を残している。

7-1 温度

透熱灸について本書が引用できる実測値は、第3章で示した一点である。米粒大艾炷(高さ 5 mm・底面直径 3 mm の円錐形)を石綿板上で燃焼させたとき、底面の最高温度は平均 140〜160℃[4]。そして密度と持続時間の間に y = 1.9 + 3.2xr = 0.92p < 0.0001)の直線回帰がある[4]

7-2 赤外放射のデータはない

灸の赤外放射を測定した研究は存在するが(第11章)、本書が到達できた文献[14]が測定しているのは伝統的な艾条(moxa stick)と隔物灸であり、透熱灸ではない。透熱灸の赤外放射を測定した研究には、本書の調査範囲では到達できなかった。

7-3 到達できなかった日本の文献

直接灸の生体内温度については、日本に古典的な研究が存在する。菅田ら(1988年)は「灸刺激が生体内におよぼす温度変化を調べるため、実験動物を用い、熱電対による温度測定を皮膚表面、皮下、筋層内について行なった」と報告している[9]。また尾崎ら(2008年)は、艾の特徴と温熱刺激特性、生化学的特性、施灸皮膚組織の形態学的変化を扱った総説を発表している[11]

本書の限界

これら2件はいずれもJ-STAGEの抄録に数値の記載がなく、本文PDFに到達できなかった。したがって本書はこの2文献から数値を引用しない。研究の存在と対象は記すが、皮膚表面・皮下・筋層内の具体的な温度は本書には書かれていない。第13章の空白リストに掲げる。

08台座灸・温筒灸・棒灸

皮膚に艾が触れない灸法である。日本の実測値がもっとも整理されているのがこの群である。

8-1 灸自体の温度特性

和田ら(2017年)の測定を再掲する。熱電対、0.55秒 間隔・600秒 間、各灸 6回[6]

表8-1 間接灸の平均最高温度(平均±SD)[6]
灸の種類平均最高温度
温筒灸64.3 ± 3.3 ℃
台座灸55.9 ± 5.0 ℃
棒灸(高さ20 mm)51.2 ± 4.7 ℃
棒灸(高さ100 mm)30.1 ± 3.3 ℃

著者らはこの測定の動機を「間接灸は火傷の可能性もあり温度特性について把握しておく必要がある」と述べている[6]

8-2 棒灸における距離

棒灸の二つの値、51.2 ± 4.7℃(高さ20 mm)と 30.1 ± 3.3℃(高さ100 mm)の差は 20℃ を超える[6]距離を 80 mm 変えるだけで、同じ器具が別の刺激になる。

臨床への翻訳

棒灸において距離は補助的な微調整ではない。刺激の強さを決める第一の変数である。効果が乏しいときに時間を延ばす前に、距離を確認する根拠がここにある。逆に、熱傷を避けたいときにまず動かすべきも距離である。

8-3 深部への熱移動

松井ら(2023年)は、2種類の台座灸を熱源とし、簡易生体内熱移動方程式を用いたシミュレーションの有効性を検討した。簡易生体モデルにはロースハムを15枚重ね合わせたものを用いている[7]。最表面最高温度は試料A 26.71℃、試料B 27.41℃。深度 21.6 mm まで 1.8 mm 間隔で測定し、深度 12.6 mm までは実測値と推定値の間に統計学的に高い相関性が認められた[7]

この研究の主眼はシミュレーション手法の妥当性検討にある。ヒトの皮膚温や深部温を推定した研究ではない。第2章で述べたとおり、表8-1の値と直接比較してはならない。

8-4 臨床試験で測られた皮膚温

参考として、臨床試験の中で皮膚温が実測された例を挙げる。Zhaoら(2014年)の変形性膝関節症を対象とした二重盲検・偽灸対照試験では、実灸の皮膚温 49.8℃、偽灸 40.9℃ と報告されている[17]。ただしこの研究で用いられたのは日本の台座灸ではなく、当該試験のために作られた艾炷と偽デバイスである。

09隔物灸——熱と成分の二重の刺激

生姜・大蒜・塩・附子餅などを皮膚と艾の間に挟む灸法である。この灸法だけは、熱のほかに介在物由来の成分という第二の経路を持つ。それが実際に溶出していることを確かめた日本の研究がある。

9-1 介在物の成分は溶出している

大西ら(1988年)は、隔物灸により溶出する含有成分の検出を薄層クロマトグラフィ(thin layer chromatography)で行った[8]

原著の記述

「その結果、隔物として用いた生姜、大蒜より各々の含有成分の溶出が確認された。このことは、隔物から溶出する成分の薬理作用が、温熱刺激とともに重要な役割を持つことを示唆している。」[8]

この文献に温度の記載はない

大西らの研究は成分の溶出を確認した研究であり、温度を測った研究ではない。抄録に温度の実数の記載はなく、本書はこの文献から温度を引用しない。また「薬理作用が重要な役割を持つ」というのは著者らが示唆として述べたものであり、薬理作用そのものを検証した研究ではない。

9-2 塩灸の熱工学的検討

森田ら(1996年)は塩灸を対象に熱工学的アプローチを採り、塩の量と艾の量をパラメータとして、艾柱1個が燃え尽きるまでの熱の発生と散逸、人体表面の界面の温度変化について定量的な知見を得たと報告している[10]。著者らの結論のうち、本書が引用できるのは次の定性的な記述である。

  • 被験者の皮膚の熱伝導率と熱拡散率には個人差があると考えられる[10]
  • 塩灸では艾柱を燃やす過程を数回繰り返すため、皮膚が熱の吸収と放散を繰り返すという特徴がある[10]
  • 被験者の温熱感覚が快適となるのは、皮膚から熱の放散がある時と、皮膚が熱を吸収して表面温度が上昇し始める期間である[10]
本書の限界

この文献の抄録には温度・熱量の実数の記載がなく、本書は数値を引用しない。「定量的な知見を得た」と著者らは述べているが、その値は本文PDFにあり、本書の調査範囲では到達できなかった。

9-3 赤外放射

Shenら(2006年)は隔物灸の赤外放射強度を、附子餅 520.27 mV、生姜 594.79 mV、大蒜 681.87 mV と報告し、いずれもピーク波長は約 7.5 µm であったとしている[14]。第11章で詳述する。

臨床への翻訳

隔物灸を「マイルドな灸」とだけ捉えると、この手技の特徴を半分しか見ていないことになる。介在物の成分が実際に溶出していることは、日本の研究で薄層クロマトグラフィにより確認されている[8]。すなわち隔物灸は、熱と化学の二つの入力を同時に与える手技である。ただし、溶出した成分が経皮的にどれだけ吸収され、何を起こすかを定量した研究には、本書の調査範囲では到達できなかった。

10灸種を「曲線の形」で並べ直す

灸種を最高温度で並べると一列になる。しかしそれは、患者が受け取る刺激の順序とは限らない。本章は、本書がもっとも書きたかったことと、それがまだ書けないことの両方を扱う。

10-1 最高温度で並べるとこうなる

表10-1 本書で引用した最高温度の一覧(測定点が異なることに注意)
対象温度測定点文献
艾条(燃焼中・中心)843 ℃艾条の横断面中心[5]
艾条(燃焼中・外側)410 ℃艾条の横断面外側[5]
米粒大艾炷140〜160 ℃艾炷の底面(石綿板上)[4]
温筒灸64.3 ± 3.3 ℃熱電対(灸の温度特性)[6]
台座灸55.9 ± 5.0 ℃同上[6]
棒灸(20 mm)51.2 ± 4.7 ℃同上[6]
棒灸(100 mm)30.1 ± 3.3 ℃同上[6]
台座灸(試料A)26.71 ℃簡易生体モデル最表面[7]
台座灸(試料B)27.41 ℃同上[7]
この表の使い方

この表を縦に読んで灸種の強さを順位づけてはならない。測定点がすべて異なるからである。この表は「灸の温度」という語がいかに多義的かを示すために置いた。同じ列に並んでいるのは数値だけであり、意味は並んでいない。

10-2 本来やるべき比較

臨床的に意味があるのは、同一の測定系で、複数の灸種の時間-温度曲線を記録し、その形を比較することである。具体的には次の四つを揃えて比べる必要がある。

  1. 立ち上がりの傾き(何秒で何度上がるか)
  2. ピークの高さと、ピークに達するまでの時間
  3. ある閾値(たとえば 43℃)を超えている時間
  4. 裾の長さ(ピーク後、基線に戻るまでの時間)
図10-1 時間-温度曲線から読み取るべき四つのパラメータ(模式図)
時間 温度 ある閾値(例:組織が反応しはじめる温度) ① 立ち上がりの傾き ② ピークの高さ ②′ ピーク到達時間 ③ 閾値を超えている時間 ④ 裾の長さ
模式図。特定の灸種の実測値ではない。曲線の形・ピークの高さ・裾の長さは、いずれも説明のために描いたものであり、いかなる報告値も表していない。本書が図示したかったのはこの四つのパラメータであるが、複数の灸種についてこれらを同一測定系で数値化し比較した査読済み研究に、本書の調査範囲では到達できなかった(第13章・空白1)。和田ら[6]は3種の間接灸を同一測定系で比較しているが、抄録に記載されているのは平均最高温度、すなわち②の値のみである。

10-3 しかし、そのデータが揃っていない

本書の中心的な空白

複数の灸種について、同一の測定系で時間-温度曲線の形(立ち上がり・ピーク到達時間・閾値超過時間・裾の長さ)を数値として比較した査読済み研究に、本書の調査範囲では到達できなかった。

和田ら[6]は台座灸・温筒灸・棒灸を同一の測定系で比較しているが、抄録に記載されているのは平均最高温度のみであり、曲線の形に関する数値は確認できなかった。したがって本書は、「台座灸はなだらかに上がる」「温筒灸は急に上がって急に落ちる」といった記述を行わない。臨床で広く語られている内容ではあるが、本書が到達できた査読済みの数値で裏づけられていない。

臨床への翻訳

したがって、灸種の選択を「曲線の形が違うから」と説明することは、現時点では根拠を示せない。説明できるのは最高温度の違いまでである。そのうえで、施術者が経験的に感じている「熱の入り方の違い」は、この空白が埋まるまで経験知として扱うほかない。経験知を経験知として扱うことは、それを生理学的事実として語ることより誠実である。

第III部

赤外放射と未解決問題

灸は熱を伝えるだけでなく、放射も出している。その測定値を確認し、最後に本書が答えられなかったことを列挙する。

11赤外放射——灸種でピークが違う

灸の赤外放射については、文献によって波長域の記述が大きく異なる。しかし一次文献に当たると、その食い違いの少なくとも一部は灸種の違いを反映している可能性が見えてくる。

11-1 艾条と隔物灸で桁が違う

Shenら(2006年)は、伝統的な灸法の赤外放射を分光測定した[14]

表11-1 伝統的な灸法の赤外放射[14]
対象放射強度ピーク波長
伝統的な艾条(moxa stick)43300.41 mV3.5 µm
隔物灸・附子餅520.27 mV約 7.5 µm
隔物灸・生姜594.79 mV約 7.5 µm
隔物灸・大蒜681.87 mV約 7.5 µm
経穴 LI 4(合谷)20.40 mV約 7.5 µm
対象の確認

この研究が比較しているのは伝統的な艾条(moxa stick)と隔物灸であり、透熱灸(皮膚上で艾を直接燃やす手技)ではない。「直接灸」と訳して読むと対象を取り違える。第7章で述べたとおり、透熱灸の赤外放射を測定した研究には本書は到達できなかった。

著者らはこの結果を、艾条は強い熱作用によって働き、隔物灸は穏やかな熱と、皮膚表面の特性に合致する共鳴によって働くと解釈している[14]。また、伝統的な材料が非伝統的な代替材料より優れており、これが従来の灸法に「科学的・生物物理学的な根拠」を与えるとも述べている[14]

この解釈の扱い

隔物灸3種のピーク波長(いずれも約 7.5 µm)が経穴の放射ピーク(約 7.5 µm)と一致するという所見は、事実として報告されている。しかし「共鳴」という説明は著者らの解釈であり、共鳴が実際に生体反応を媒介することを示した実験ではない。本書は所見と解釈を区別して記す。また mV は検出器の出力電圧であり、放射強度の絶対量(W/m² 等)ではない。同一研究内での相対比較にのみ使える値である。

図11-1 伝統的な灸法の赤外放射——ピーク波長と放射強度
ピーク波長(µm) 0 2 4 6 8 10 3.5 伝統的な艾条 約7.5 隔物灸3種・経穴LI4 放射強度(mV・対数目盛) 10 100 1,000 10,000 100,000 伝統的な艾条 43300.41 隔物灸・大蒜 681.87 隔物灸・生姜 594.79 隔物灸・附子餅 520.27 経穴 LI 4(合谷) 20.40
数値はすべて原著の報告値[14]上段はピーク波長、下段は放射強度(対数目盛)。mV は検出器の出力電圧であり、放射強度の絶対量(W/m² 等)ではない。同一研究内での相対比較にのみ使える。隔物灸3種と経穴のピーク波長が約7.5 µm で一致するという所見は原著の報告であるが、著者らが述べる「共鳴」は解釈であり、それが生体反応を媒介することを示した実験ではない。この研究に透熱灸は含まれていない。

11-2 器具の材質による違いは数値化されていない

Zhangら(2024年)は、材質の異なる4種類の灸器具——台紙・シリコーン・セラミック・木——について、フーリエ変換赤外分光法(FTIR)で赤外放射を分析した[15]。Nicolet iS50 分光計を用い、1.28〜25 µm の範囲で 32 回の走査を行っている。測定は気温 22 ± 3℃、相対湿度 55 ± 10% で実施された[15]

解析にあたって設定された波長区分は、近赤外 1.28〜2.5 µm、中・遠赤外 2.5〜25 µm、ヒトの吸収ピーク帯 7.5〜10 µm である[15]。皮膚を模擬するために湿らせた牛皮(約 37℃)が用いられた[15]

本書の限界

この研究は、材質ごとのピーク波長を数値として報告していない。したがって「セラミック製の灸器具は◯µmにピークがある」といった記述は本書には書けない。また器具表面の温度も定量的には測定されていない[15]

11-3 「灸の遠赤外線」という説明について

臨床への翻訳

「灸は遠赤外線を出すから身体の深部まで届く」という説明は広く行われている。本書が到達できた一次文献に照らすと、この説明には少なくとも二つの留保が要る。

第一に、ピーク波長は灸種によって異なる。伝統的な艾条のピークは 3.5 µm、隔物灸3種はいずれも約 7.5 µm と報告されている[14]。前者は一般に近〜中赤外に区分される領域である。「灸=遠赤外線」と一括りにはできない。

第二に、波長と組織到達深度の関係を、灸について定量した研究に本書は到達できなかった。したがって「深部まで届く」という部分を、本書は数値で支持できない。

12考察——温度曲線と品質指標をつなぐ

本章は考察である。ここまでの各章が原著の報告値の提示であったのに対し、本章は本書が独自に立てた仮説を述べる。いずれも検証されていない。読者が追試や反証の対象として扱えるよう、根拠となる事実と、そこから先の推論を、段落ごとに分けて記す。

本章の位置づけ

本章の各節は「事実」(原著の報告値)と「考察」(本書の推論)と「この考察が成立しない条件」の三つで構成される。考察の部分は、いかなる意味でも証明された内容ではない。臨床判断や患者説明の根拠として用いてはならない。

12-1 なぜ二つの領域はつながっていないのか

【事実】本書が扱ってきた知見は、二つの系統に分かれている。

表12-1 二つの系統に分かれた知見
系統分かっていること
物理・燃焼の側密度と温度持続時間に直線関係がある。着火温度・反応温度域・残渣が測定されている。艾条断面に400℃を超える温度差がある第9〜12章
材料・商品の側精製で親水性成分が減る。製造法が国によって異なる。等級評価として体積と色が試みられている。施術者は日中の高精製モグサに違いを感じる第2〜6章

【事実】そして、この二つを同一研究の中で結びつけたデータに、本書は到達できなかった。すなわち「精製度が変わると温度曲線がどう変わるか」「等級の高い艾は温度曲線のどこが違うのか」という問いに、報告値で答えることができない。

12-2 考察1:一定加圧時の体積は、密度と同じ物理量に触れている可能性がある

【事実】山下・江川(1995年)は、艾炷の密度(mg/11.8 mm³)と温度持続時間の間に y = 1.9 + 3.2xr = 0.92p < 0.0001)の直線回帰を報告した[4]。一方、大久保らは品質評価の指標として一定加圧時の体積を試みている[21]

考察

一定の圧力をかけたときの体積は、単位質量あたりの嵩に関する量である。密度は単位体積あたりの質量であるから、両者は同じ物理的性質の裏表を測っている可能性がある。もしそうであれば、大久保らが等級評価のために選んだ指標は、山下・江川が刺激の持続時間と結びつけた量と、物理的に近いところにあることになる。品質の指標と刺激量の指標が、独立に選ばれながら同じ性質に行き着いているという構図である。

この考察が成立しない条件

大久保らの論文本文に到達できておらず、どのような圧力条件で何を算出しているかを確認できていない。密度と対応する量でない可能性は十分にある。また山下・江川の測定は石綿板上の艾炷底面であり、成形前のモグサの嵩とは対象が異なる。この対応関係は本書の推測であり、検証されていない。

12-3 考察2:「心地よさ」は曲線のどの部分に対応するのか

【事実】松本・形井(2016年)の官能評価では、施灸した 119名85名71.4%)が日本産について「心地よかった」を選択した[19]。この研究で温度は測定されていない。

【事実】森田ら(1996年)は塩灸について、「被験者の温熱感覚が快適となるのは、皮膚から熱の放散がある時と、皮膚が熱を吸収し、皮膚表面の温度が上昇し始める期間である」と述べている[10]

考察

森田らの記述は、快適さが温度のピーク値ではなく、温度が動いている局面——上昇の始まりと、放散の局面——に結びついていることを示唆する。もしこの対応が塩灸以外にも当てはまるなら、官能評価で得られた「心地よさ」の差は、最高温度の差ではなく、立ち上がりと裾の形の差を反映している可能性がある。第10章で述べたとおり、曲線の形を数値比較した研究は存在しないため、この可能性は現在のところ検証できない。

この考察が成立しない条件

森田らの記述は塩灸の被験者についてのものであり、透熱灸や台座灸に一般化する根拠はない。また松本・形井の官能評価は日本産と中国産の高精製モグサの比較であって、灸種の比較ではない。二つの研究を結ぶデータは存在せず、本節は二つの別々の所見を並べたうえでの推論にすぎない。

12-4 事実の並置:精製度と燃焼の第1段階

【事実】精製比を上げると親水性のフェノール酸・フラボノイドが 58.67〜84.06% 減少する[2]。また艾の熱分解の第1段階は 120℃ 未満で起こり、そこで水分と揮発性成分が失われる[3]。この段階での質量減少は試料により 4.8〜9.9% の幅がある[3]

この二つを結ぶデータは無い

精製は成分を除去する工程であり、燃焼の第1段階は成分が失われる段階である。しかし精製度と第1段階の質量減少を同一研究内で対応づけた報告は、本書の調査範囲には無い。本書は、この二つを結んで「精製度が温度曲線のどこを動かすか」を述べない。日本で直接灸に高精製モグサが用いられてきたこと[19]も、製法と灸法の対応を記述した報告であって、温度曲線との対応を測ったものではない。これは第13章の空白2として掲げた項目そのものである。

この考察が成立しない条件

Limら[3]の試料は精製比が「低・中・高」と記載されるのみで、精製比の数値と 120℃ 未満の質量減少との対応は原著に示されていない。すなわち上記の 4.8〜9.9% の幅が精製度によるものかどうかは分からない(寝かせる年数・産地も同時に異なる)。またLiら[2]が測定したのは親水性の9成分に限られ、精油成分は対象外である。「精製度が立ち上がりを変える」は本書の予測であって、報告値ではない。

12-5 この考察から導かれる、次に行うべき一つの実験

三つの考察はいずれも、同じ一つの実験で検証できる。

提案

精製度の異なる艾を、密度を揃えて同一形状にひねり、同一の測定系で時間-温度曲線を記録する。そのうえで、立ち上がりの傾き・ピーク温度・ピーク到達時間・裾の長さを数値化して比較する。密度を揃えることで、山下・江川が示した密度の効果[4]を分離できる。

この一つの実験で、第13章の空白リストのうち空白1(灸種ごとの曲線の形)と空白2(精製度と温度の対応)が同時に埋まる。新しい装置は要らない。本書が引用した日本の研究がすでに用いている熱電対と、既存の精製度分類で足りる。

本章の要約

本章で述べた三つはいずれも考察であり、検証されていない。それでも本書がこれを書いたのは、二つの領域が接続されていないという事実そのものが、この分野の構造を示しているからである。接続されていないことを書かなければ、読者は「まだ誰も調べていない」と気づけない。

13研究方法論と未解決問題

本書が答えられなかったことを列挙する。抽象的な「今後の研究が待たれる」は書かない。次の研究者が明日着手できる粒度で書く。

13-1 空白リスト

表13-1 本書の調査範囲で定量データに到達できなかった事項
#空白なぜ埋まっていないと考えられるか
1複数の灸種を同一測定系で比較した時間-温度曲線の形(立ち上がり・ピーク到達時間・閾値超過時間・裾の長さ)の数値最高温度は報告されるが、曲線パラメータを数値化して比較する慣行がまだない
2艾の精製度と最高温度を同一研究内で対応づけた定量データ精製度の定量研究は中国産 A. argyi、温度の実測研究は日本、と国で分断している
3精製後の艾に、分泌毛と非分泌毛がどの比率で残るか毛茸の記載研究と艾の成分研究が別々に行われている
4日本の艾の精製工程が、中国の研究と同じ成分変化を示すか工程(篩・唐箕)も原料種も異なるが、比較した研究が見当たらない
5直接灸の生体内温度(皮膚表面・皮下・筋層内)の実数菅田ら(1988年)[9]が測定しているが、抄録に数値がなく本文に到達できなかった
6塩灸の熱の発生・散逸・界面温度の実数森田ら(1996年)[10]が「定量的な知見を得た」と記すが、抄録に数値がない
7松本ら(2016年)[12]各物質の実測濃度と室内シミュレーションの前提出版社サイト・機関リポジトリのいずれもアクセスできなかった
8灸器具の材質ごとの赤外放射ピーク波長Zhangら(2024年)[15]は波長区分での解析にとどまり、ピーク波長を数値化していない
9透熱灸の赤外放射の強度とピーク波長Shenら(2006年)[14]が測定したのは伝統的な艾条と隔物灸であり、透熱灸は対象に含まれていない
10灸の赤外放射の波長と組織到達深度の関係灸を対象にこれを定量した研究に到達できなかった
11隔物灸で溶出した成分の経皮吸収量とその作用大西ら(1988年)[8]は溶出の確認までで、吸収量は測定していない

13-2 この分野の研究が抱える三つの構造的な制約

制約1:測定点が標準化されていない
本書が引用した温度は、艾条の断面中心(843℃[5]、艾炷の底面(140〜160℃[4]、灸の温度特性としての熱電対(55.9℃[6]、簡易生体モデルの最表面(26.71℃[7]と、すべて測定点が異なる。灸の温度測定に共通のプロトコルが存在しないため、研究間で数値が積み上がらない。
制約2:材料側と生体側の研究が分断している
成分分析は薬学・植物学の手法で、温度測定は工学・鍼灸学の手法で行われている。「精製度が変わると温度がどう変わるか」という、臨床がもっとも知りたい問い(空白2)が、どちらの分野の中心課題にもなっていない。
制約3:日本語文献の本文にアクセスしにくい
本書が数値を引用できなかった日本語文献は4件ある(空白5・6、および第1章の宮本[16]、第7章の尾崎ら[11])。いずれもJ-STAGEの抄録に数値の記載がなく、本文PDFに到達できなかった。日本は灸の物理測定でもっとも蓄積のある国であるにもかかわらず、その蓄積が参照しにくい状態にある。

13-3 結び

本書の冒頭に置いた問いに答える。もぐさは何でできていて、燃えるとき何が起きているのか。

艾は葉の毛茸を集めたものであり、精製とは親水性の薬理成分を捨てて熱源としての性質を得る工程である(『もぐさの特性』第2章)。寝かせる年数が経つと揮発性成分は失われ、着火温度はわずかに上がる(『もぐさの特性』第4章)。燃焼は三段階で進み、成分の多くは燃焼の本体が始まる前に飛んでいる(第5章)。刺激量を連続的に変える変数は、艾炷の高さではなく密度である(第3章・第4章)。そして煙については、日本の艾を日本の施術条件で測った研究が基準値以下であり安全であること、同時に有害物質は必ず生成するため作業環境の措置は必要であることを報告している(『もぐさの特性』第8章)。

一方、答えられなかったことも明確である。灸種ごとの温度曲線の形は、数値として比較できる形で揃っていない(第10章)。精製度と温度を結ぶデータもない(空白2)。灸の物理を扱う本書が、もっとも臨床に近い二つの問いに答えられていない。

要点

この空白の多くは、実験が難しいからではない。測定点を揃えたプロトコルがないこと、材料側と生体側の研究が分断していること、日本語文献の本文が参照しにくいこと——研究の構造の問題である。したがって、新しい装置を待つ必要はない。既存の手法でも、測定点を統一して複数の灸種を並べるだけで、空白1は埋まる。

臨床への翻訳

本書を通じて施術者に残る実利は一つである。灸の刺激量を変えたいとき、動かせる変数は壮数だけではない。ひねりの固さ(密度)は持続時間を直線的に変え[4]、棒灸の距離は最高温度を 20℃ 以上動かし[6]、艾の精製度と寝かせる年数は燃焼の性質そのものを変える[2][3]。これらはすべて、施術者が毎日すでに選んでいる変数である。選んでいることに気づいて選ぶかどうかが、本書の読前と読後の差である。

演習

理解度チェック

本書の内容から8問。選択するとその場で正誤と解説が出ます。設問はすべて本文に記載した報告値・記述に対応しており、各問には該当章へのリンクを付けました。自己確認のための演習であり、資格や技能を証明するものではありません。

Q01 出典:第1章

温度曲線を読むとき、最初に確認すべきことは何か。

Q02 出典:第2章

同じ台座灸について 55.9℃ と 26.7℃ という異なる温度が報告されているのはなぜか。

Q03 出典:第3章

透熱灸の刺激量(熱の持続時間)と直線的な関係が報告されているのはどれか。

Q04 出典:第4章

「高くひねった艾炷ほど緩やかに熱が伝わる」という説明について、実測はどうだったか。

Q05 出典:第5章

艾の燃焼過程について、熱重量分析が示しているのはどれか。

Q06 出典:第6章

燃焼中の艾条1本の温度について、報告されているのはどれか。

Q07 出典:第10章

灸種を比較するとき、本書が最も重視する軸はどれか。

Q08 出典:第11章

灸の赤外放射について、正しいのはどれか。

解答ずみ 0 / 8
付録

引用文献

本書の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づく。すべての文献に到達可能なURLを付した。本文に到達できず数値を引用しなかった文献には、その旨を注記した。

  1. Li M, Chai X, Wang L, Yang J, Wang Y. Study of the Variation of Phenolic Acid and Flavonoid Content from Fresh Artemisiae argyi Folium to Moxa Wool. Molecules. 2019;24(24):4603. PMC6943600
  2. Lim MY, Zhang X, Huang J, et al. Study of Thermal Behavior of Moxa Floss Using Thermogravimetric and Pyrolysis-GC/MS Analyses. Evid Based Complement Alternat Med. 2021;2021:6298565. PMC7904358
  3. 山下仁, 江川雅人. 透熱灸の温度と燃焼時間——艾炷の密度および高さの影響. 全日本鍼灸学会雑誌. 1995;45(3):203-207. doi:10.3777/jjsam.45.203
  4. Hong ZG, Lü F, Wei HS, Yuan YH, Wu HG. Study on moxa sticks burning temperature-time-space curves. Zhongguo Zhen Jiu. 2012;32(11):1024-1028.(中国語論文。本書は英文抄録に記載された値のみを引用した) PMID: 23213993
  5. 和田恒彦, 全英美, 宮本俊和. 間接灸の温度特性. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2017;42(2):65-71. doi:10.32255/jjsop.42.2_65
  6. 松井敬宏, 糸井信人, 佐藤義晃, 谷口美保子, 石井祐三, 中西智子, 中嶋拓美, 松本美由季, 長谷川尚哉. 2種の異なる台座灸燃焼時の深部温度変化シミュレーションの検討. 日本東洋医学系物理療法学会誌. 2023;48(2):75-85. doi:10.32255/jjsop.48.2_75
  7. 大西基代, 戸田静男, 菅田良仁, 東家一雄, 黒岩共一, 木村通郎. 隔物灸について. 全日本鍼灸学会雑誌. 1988;38(4):420-422. doi:10.3777/jjsam.38.420
  8. 菅田良仁, 東家一雄, 大西基代, 黒岩共一, 戸田静男, 木村通郎. 艾の燃焼温度と生体内温度変化に関する研究. 全日本鍼灸学会雑誌. 1988;38(3):326-329.(抄録に数値の記載がなく、本文に到達できなかった。本書は数値を引用していない) doi:10.3777/jjsam.38.326
  9. 森田矢次郎, 今井文雄, 呉邵忠. 灸による温熱刺激の熱工学的研究. 人間と生活環境. 1996;4(1):29-33.(抄録に数値の記載がなく、本書は定性的な記述のみを引用した) doi:10.24538/jhesj.4.1_29
  10. 尾崎昭弘, 會澤重勝, 戸田静男, 熊本賢三, 榎原智美, 小池太郎. お灸の研究. 全日本鍼灸学会雑誌. 2008;58(1):32-50.(抄録に数値の記載がなく、本文に到達できなかった。本書は数値を引用していない) doi:10.3777/jjsam.58.32
  11. Matsumoto T, Katai S, Namiki T. Safety of smoke generated by Japanese moxa upon combustion. Eur J Integr Med. 2016;8(4):414-422.(本文の実測濃度の表に到達できなかった。本書は抄録原文のみを引用した) doi:10.1016/j.eujim.2016.03.005
  12. Shen X, Ding G, Wei J, Zhao L, Zhou Y, Deng H, Lao L. An infrared radiation study of the biophysical characteristics of traditional moxibustion. Complement Ther Med. 2006;14(3):213-219. PMID: 16911902
  13. Zhang J, He J, Shuang S, et al. Analysis of infrared radiation emitted by moxibustion devices made of different materials using Fourier transform infrared spectroscopy. Heliyon. 2024;10(12):e33221. PMC11239693
  14. 宮本成生. お灸燃焼温度の客観評価を可能にする低コスト非接触温度計測システムの開発——灸治療の教育現場での教材化を視野に. 伝統医療看護連携研究. 2025;7(1):47.(掲載ページに抄録本文がなく、本書は数値を引用していない) doi:10.34511/jstn.7.1_47
  15. Zhao L, Cheng K, Wang L, et al. Effectiveness of moxibustion treatment as adjunctive therapy in osteoarthritis of the knee: a randomized, double-blinded, placebo-controlled clinical trial. Arthritis Res Ther. 2014;16(3):R133. PMC4095686
  16. 松本毅, 形井秀一. 日本産と中国産のモグサの違いに関する研究. 日本東洋医学雑誌. 2016;67(4):399-407. doi:10.3937/kampomed.67.399
  17. 大久保淳子, 形井秀一, 戸田静男, 松本毅, 遠藤久美子, 田代淳子, 渡邉美保, 會澤重勝. 一定加圧時の体積によるモグサ品質評価の試み. 全日本鍼灸学会雑誌. 2016;66(3):157-165.(抄録が公開されておらず、本文PDFも文字情報として抽出できなかった。本書は数値を引用していない) doi:10.3777/jjsam.66.157

温度曲線 第1版 2026年8月17日発行
発行:合同会社YOMOGI BASE(鍼灸エビデンス・ライブラリ)

本書の位置づけ。本書は『艾と熱源の科学』(第1版・全23章)を読み進めやすい分量に分けた二分冊の下巻であり、温度曲線・燃焼の物理・灸種別の特性・赤外放射と未解決問題を収める。艾の成分・精製・製造・品質評価と煙の成分は上巻『もぐさの特性』に収めた。

数値の出所方針。本書に記載した数値は、すべて一次文献に記載された報告値をそのまま引用したものである。編者が計算・推定・丸めた値は含まない。平均±SD は原著の表記どおりに記した。表に編者が算出した値は一つも含まれていない。

調査範囲。英語・日本語・中国語圏を対象に14クエリの検索を行い、23件の一次・二次資料に到達した(2026年8月16日時点)。到達できなかった数値は記載していない。本文に到達できなかった文献については、引用文献欄にその旨を明記し、抄録で確認できた記述のみを用いた。分冊にあたり、本書の本文が引用している文献のみを引用文献欄に掲げ、番号は原本の通し番号を保持した。

本書の限界。灸の温度測定には共通のプロトコルが存在せず、本書が引用した温度はすべて測定点が異なる。研究間で数値を直接比較することはできない。空白リストは第13章に掲げた。

発行と利益相反。本書の発行者は合同会社YOMOGI BASEである。同社はよもぎ・お灸に関連する商品を扱う事業者であり、この利害関係を開示したうえで、本書では特定の商品・サービス・銘柄に一切言及せず、効能をうたわない編集方針を採っている。文献の選定・数値の引用・空白の明示は、事業上の利害と独立して行った。自社および自社関係者による発信は、査読の有無にかかわらず出典として用いない。

ご利用にあたって。本書は教育・研究目的の学術情報であり、個々の患者に対する診断・治療方針を示すものではない。臨床判断は、施術者自身の責任において、患者の状態と関連法規に基づいて行われたい。

改版履歴。2026年8月16日 原本『艾と熱源の科学』(全23章)第1版発行。
2026年8月17日 二分冊化にともなう第1版。章番号を分冊内で振り直し、表・図の番号を各分冊の章番号に合わせて振り直した。姉妹巻の章への参照はリンクで接続した。
2026年8月17日 出典照合版。全引用文献をNCBI(PubMed/PMC)・Crossref・J-STAGEの書誌レコードに当たって実在と書誌を確認し、著者名・巻号頁を補完した。孫引き・誤帰属・非査読ソースは一次文献に差し替え、差し替えた箇所は引用文献欄に注記した。編者が報告値を超えて述べる示唆は1冊2件までとする規約を序章に明記した。